GTロゴの誕生

千葉での木製サーフボード教室の開催期間中にPaulさん、Nobbyさんからいただいた宝物がある。

現在のGT Designsのロゴである。(リンク)

ものづくりに関わる上で、自分のブランドを持ちたいという想いは常々持ちながらも、なかなか良い形が見いだせないでいた。

そんな中、教室の開催にNobbyさんのハイエースのバンに描かれた落書きがもとになり、今のGT Designsのロゴが出来上がった。

Nobbyさんのハイエースに描かれたGTロゴの原型

その後、Caliographyや黄金比について学び、途中いろんなバージョンの寄り道をして、最後は原点となったサーフィンで象ることに決定した。

寄り道しながら辿り着いたGT Designsロゴ

ファイバーグラッシングの練習を兼ねて、一番始めてロゴを入れたのが地元の桐で作ったSUPのブレード。

一つはロゴの絞り込む時にアドバイスをくれた友人へのプレンゼント、もう一つは自分のSUP用のブレードとして今日も愛用している。

友人へプレゼントしたSUPブレード(左)、自分用のSUPブレード(右)

近況報告と2021年の目標

なんてこった。前回のブログ投稿からすでに半年が経過してしまった。

昨年から続く新型コロナウイルス感染症の影響で、昨年納品を予定していたリバーテーブル制作の仕事がキャンセルになったりするなどし、我が工房も変化を迫れる日々が続いています。

コロナ禍の中で工房に籠もる時間が増えたことで、新型コロナの脅威から開放されること日が来ることを願いつつ、昨年9月頃から事務所と工房のアップグレードに取り組んでいます。

能登ヒバを使ったトイレ、ヒノキと杉による木製ガレージドア、愛車ハイエースの移動式ショールーム兼リモートオフィス化、サイクロン集塵機の配管など。

リモート制御が可能なガレージドア(左)と新設するトイレ(右)
移動式ショールーム兼リモートオフィス
工房事務所スペース

2021年は春までに事務所および工房もアップグレードを完了し、心機一転、ものづくりや商品開発を本格的に再開します。

2021年は、

(1) 木製サーフボードフレーム「Wood Connectionsシリーズ」開発、

(2)エポキシ x レジンによる商品開発と物販サイトの構築、

(3)リバーテーブルの制作

を3本の柱とし事業を進めていく予定です。

その他、未来の事業展開を見据えたフィットネスアプリの開発準備等、相変わらず大忙しですが、皆様引き続きGT Designsをよろしくお願いいたします。

Hollow Wooden Surfboard Building Class by Paul Jensen in China in 2010

最終日の記念撮影

Toward our first hollow wooden surfboard making class by Paul Jensen, I and Nobby already discussed how we can work together to make this event happen in our trip in Chiba.

Nobby already invented his own method of making wooden surfboards so that he was familiar with materials to be prepared. He also helped me find a place to organize the class as he knew Chiba coastal areas, one of the most famous surfing destinations in Japan.

Chiba is closed to Nobby’s workshop and also close to Tokyo and Kanagawa prefectures, where potential participants are expected.

My responsibility was to collect participants to join the class.

Paul told me that 6 people needed to sign us the class to make the class happen.

当時、サーフライダーファウンデーションジャパン(SFJ)の海岸調査チームのメンバーとしてボランティア活動をしていたこともあり、当時のSFJの代表理事だった守山倫明さんに企画書を提出し、協力を依頼したところ快諾してもらった。

そこで、SFJ事務局を設置していただき、SFJのホームページや波伝説や波あるなどの波予想アプリの利用者に向けて、教室開催を案内する告知文を掲載していただくこととにした。

そういや当時の波伝説なんかは、Docomoのimodeなんてか動いていたっけ。

SNSもまだ主流ではなく、伝統的なホームページとE-mailが主なコミュニケーションツールだった時代だ。

最初はすぐに人が集まるだろうと余裕をかまし、適当に告知文を準備していたが、2週間たっても2人ぐらいしか参加申し込みがなかった。

だんだん不安になる一方で、Nobbyさんは会場を押さえ、材料の山武杉を既に調達していた。

それでお尻に火がついて、告知文を本気で見直し掲載したのが下の内容である。

この時ばかりは、思わず本屋に駆け込み「「買いたい!」のスイッチを押す方法」という本を買ったもんね。

当時SFJのホームページ記載された教室案内

それでこの本に書いてあることを割りと忠実に実行したところ、毎日のように問い合わせが入るようになり、2週間もしないうちに定員が埋まり、最後は参加希望者が来ても断らざるような事態となった。

この時、文章力の重要さを身を以て勉強することになったわけだが、後々、研究者として様々な研究プロポーザルを書く際の自信にもなり、今でも役に立っているような気がする。

そういえばメーカー勤務の時代から、営業行為があまり好きでなかったが、この経験を境にどこでもイッパシの営業マンとしてやっていける自信がついた。

そんなこんなで、2010年の6月頃にはPaul Jensenを日本に招き、千葉県の山武市で木製サーフボード自作教室の開催が決定した。

教室の準備や段取りは、Nobbyさんに大部分をお願いし、山武市の空き倉庫にレンタル品の発電機を2台持ち込み、教室を開催することとなった。

その当時に執筆した開催報告がこちらにあるので、興味のある人はぜひ読んで欲しい。

教室開催後にSFJホームページに掲載した開催報告

こちらの文章はSFJホームページに掲載するために作成した、ある意味ヒジョーにポジティブな開催報告であったが、実際の教室開催はなかなか大変で、発電機が止まったり、Paulさんの忠告を無視して夜な夜な作業していたら、こっぴどく説教されたり、自分が作った木製サーフボードの出来が散々だったりと、毎日数えきれないくらいのパブニングとドラマの連続だった。

それでも教室ば無事終了し、参加者が満場一致で喜んでくれたことは、後々の大きな自信になり、商売の本質を理解する良い経験になった。

またいつか、この教室の参加者と語り合いたいもんだ。

サーフボード制作合宿 in 千葉 (2010)

最終日の記念撮影

日本で初開催となる木製サーフボード自作教室に向けて、房総半島サーフトリップでNobbyさんと役割分担を決めていた。

既に自らのオリジナル工法を木製サーフボードを作っていたNobbyさんが材料を調達し、日本のサーフィンのメッカの一つである千葉県内で開催場所を探す。

千葉であればNobbyさんの工房から近いし、東京や湘南エリアからも近い。

多くの参加者が見込めるであろうという理由で、千葉県で教室を開催することにした。

そして、自分の役割はといういうと、何らの手段を使って参加者を集めることだった。

Paulさんからは教室開催の条件として、最低6人集めなさいと言われていた。

当時、サーフライダーファウンデーションジャパン(SFJ)の海岸調査チームのメンバーとしてボランティア活動をしていたこともあり、当時のSFJの代表理事だった守山倫明さんに企画書を提出し、協力を依頼したところ快諾してもらった。

そこで、SFJ事務局を設置していただき、SFJのホームページや波伝説や波あるなどの波予想アプリの利用者に向けて、教室開催を案内する告知文を掲載していただくこととにした。

そういや当時の波伝説なんかは、Docomoのimodeなんてか動いていたっけ。

SNSもまだ主流ではなく、伝統的なホームページとE-mailが主なコミュニケーションツールだった時代だ。

最初はすぐに人が集まるだろうと余裕をかまし、適当に告知文を準備していたが、2週間たっても2人ぐらいしか参加申し込みがなかった。

だんだん不安になる一方で、Nobbyさんは会場を押さえ、材料の山武杉を既に調達していた。

それでお尻に火がついて、告知文を本気で見直し掲載したのが下の内容である。

この時ばかりは、思わず本屋に駆け込み「「買いたい!」のスイッチを押す方法」という本を買ったもんね。

当時SFJのホームページ記載された教室案内

それでこの本に書いてあることを割りと忠実に実行したところ、毎日のように問い合わせが入るようになり、2週間もしないうちに定員が埋まり、最後は参加希望者が来ても断らざるような事態となった。

この時、文章力の重要さを身を以て勉強することになったわけだが、後々、研究者として様々な研究プロポーザルを書く際の自信にもなり、今でも役に立っているような気がする。

そういえばメーカー勤務の時代から、営業行為があまり好きでなかったが、この経験を境にどこでもイッパシの営業マンとしてやっていける自信がついた。

そんなこんなで、2010年の6月頃にはPaul Jensenを日本に招き、千葉県の山武市で木製サーフボード自作教室の開催が決定した。

教室の準備や段取りは、Nobbyさんに大部分をお願いし、山武市の空き倉庫にレンタル品の発電機を2台持ち込み、教室を開催することとなった。

その当時に執筆した開催報告がこちらにあるので、興味のある人はぜひ読んで欲しい。

教室開催後にSFJホームページに掲載した開催報告

こちらの文章はSFJホームページに掲載するために作成した、ある意味ヒジョーにポジティブな開催報告であったが、実際の教室開催はなかなか大変で、発電機が止まったり、Paulさんの忠告を無視して夜な夜な作業していたら、こっぴどく説教されたり、自分が作った木製サーフボードの出来が散々だったりと、毎日数えきれないくらいのパブニングとドラマの連続だった。

それでも教室ば無事終了し、参加者が満場一致で喜んでくれたことは、後々の大きな自信になり、商売の本質を理解する良い経験になった。

またいつか、この教室の参加者と語り合いたいもんだ。

Nobbyさんとの出会い 
はじめての木製サーフボードでの波乗り

2009年当時。日本人で木製サーフボードを作る人がいることは知っていた。

nobbywoodsurfboardsのNobbyさんだ。

nobbywoodsurfboards.comに行くと、木製サーフボードや木製のフィンに関する詳しい解説があるが、確か記憶では2008年頃からホームページは既に充実していた。

そんな中、Paulさんに日本でのウッドサーフボード教室開催をお願いした結果、その返信EmailのCCにNobbyさんが入ったので、一度会ってみることした。

Nobbyさんにはじめてお目にかかったのは、2009年の12月。

都内で仕事があり、その帰りに当時彼の工房があった幕張に向かった。

工房を見せてもらうつもりでワクワクしながら向かったのだが、Nobbyさんの指示で駅前の喫茶店で話を聞いてもらうことになった。

最初は、どこの馬の骨というような態度で接していたNobbyさんも、自分がウッドボードに興味を持ったきっかけや、それまでに作ったアライアからの学んだことを話しているうちに少しづつ心を開いてくれたように思えた。

それで、日本で最初の木製サーフボード教室をやろうとういうことで意気投合し、翌年の3月の下旬の連休に開催場所の下見を兼ねて2泊3日の房総半島サーフトリップに出かることになった。

旅の道中、Paulさんのマニュアルを日本で最初に購入したのがNobbyさん、そして2番目に購入したのが自分だという話や、木製サーフボード作りを始めたきっかけ、日本ではじめて開催する教室に向けての話し合いを進めた。

また、この時にはじめてNobbyさんの工房を見せてもらい、仕上がったばかりの桐製ウッドサーフボード(ロングボード)に試乗させてもらうことになった。

最初に、千葉北の堀川浜というサーフィンポイントに向かったと思う。

はじめて乗る、ウッドサーフボードの印象は、浮力があり速いが、コントロールがとても難しいじゃじゃ馬という印象だった。

当時の新鮮な記憶は今でもしっかりと足の裏に刻まれている。

桐製ウッドーサーフボードにWax upしてくれたNobbyさん

それまでに体感したことのないようなスピードに計り知れない可能性を感じ、近いうちに自分も木製サーフボードを作るんだという気持ちが強くなり、何とかして日本でのウッドサーフボード自作教室の開催を実現しようと思うに至った。

Nobbyさんとの二泊三日の房総半島サーフトリップは、紛れもなく日本ではじめての開催となるPaul Jensen氏による木製サーフボード教室の実現に向けた第一歩だったのだ。

You get what you paid for…
師匠「Paul Jensen」との出会い

いやはや。前回のアライアの投稿から一ヶ月も経ってしまった。

今回は、私の人生を大きく変えることになった木製サーフボードづくりの師匠である「Paul Jensen」さんの記事ということもあり、ついつい気が張ってしまい気がつけば時間ばかり過ぎていく有様だ。

結局アライアは、その後10年越しにトライしてみたが、これが想像した以上に難しく立つことができないばかりか、腹ばいのプローンスタイルでもあまり波に乗れなかった。

体重がまだオーバーなのか、まだまだ技術が足りないのか。

もっと走り込む必要がありそうです。

思えば10年前も、アライアはやはり無理という気持ちになった。

そこで、やはりしっかりと波乗りができる木製サーフボードが作りたいということで、あれこれとインターネットで調べた結果、2人の人物に辿り着いた。

一人目はhollowsurfboards.comのPaul Jensenさん、もうひとりはwoodsurfboardplans.com/のJack Youngさん。

両人とも、当時から中空工法で木製サーフボードを作っており、その工程について詳しく解説するマニュアルを販売していた。

調べると、Paulさんのマニュアルは100ドル、Jackさんのマニュアルは50ドル。

購入前の下調べの段階ではJackさんのマニュアルのほうが安いし、情報が整理されていてわかりやすそう。

一方、Paulさんは人物的に面白いそうだが、マニュアルを紐解くのは難しそう。だけどマニュアルの値段は倍もする。

悩んだ末、二人に問い合わせをしてみることにした。

木製サーフボードづくりに興味があるが、2つのマニュアルがあり、どちらを買おうか迷っていることを正直に聞いてみることにした。

その返答は対照的だった。

Paulさんからの返事を要約すると、「俺のマニュアルのほうが良い。100ドルの価値はある。(You get what you pay for…)」という自信満々の内容。

一方Jackさんは、「Paul Jensen氏のマニュアルの中身は知らないため、比較することできない。でもPaulさんは良い木製サーフボードを作ることは知っている。どっちのマニュアルを買っても、良いボードができるよ」というとても紳士的な対応。

普通に考えれば、Jackさんのマニュアルを買うところなんだが、この時は第六感が働き、気がついたらhollowsurfboards.comにある100ドルのPaypalボタンを押していた。

正確にいうと、E-mailの最後の一文のYou get what you pay for…の自信満々な感じに、ややや、これはもしかして100ドル以上の価値があるかもと思った。

それから程なくして、Paulさんの木製サーフボードづくりマニュアル「HOW-TO」が郵送で届いた。

しかし、その圧倒的な情報量と整理されてないコンテンツに、You get what you pay forの期待はあっさりと裏切られ、さらに慣れないインチ表記に頭がますます混乱し、木製サーフボードづくりは開始早々にして暗礁に乗り上げてしまった。

そして半年ぐらいがたった頃。

Paulさんのホームページで2010年に木製サーフボード自作教室の開催する計画があり、その候補地の一つとして日本を検討していること知った。

このページ見た瞬間、居ても立っても居られない気持ちになり、再びPaulさんにメールを書いた。

そして、是非日本に来て欲しい、教室開催のお手伝いをさせて欲しいと伝えた。

数日後にPaulさんから前向きに検討してくれるというE-mailの返信があり、その返信の宛先のCCには、nobbywoodsurfboardsのNobbyさんが入っていた。

そして、その翌日には、Nobbyさんからも日本での木製サーフボード自作教室の開催を支援する旨のE-mailが届き、岩礁に乗り上げた船が再び動き始めた。

最近Paulさんから届いた写真。今も木製サーフボードづくりに対する情熱は失っていない。

アライア制作の日々と木からの学び

今年に入ってからランニングを習慣にしている。

これには理由があり「アライア」という、波乗りの原点と言われる乗り物にトライするためだ。

簡単に言えば「アライア」とはデブには決して乗ることができないフィンが付いていない木製の波乗り道具で、古代ハワイアンにも愛されたサーフィンの原点ともいうべき代物だ。

アライアとの出会いは、2009年に封切りとなったサーフィンムービー「The Present」。

デイブ・ラストヴィッチ、ダン・マロイ、クリス・デルモロがフィンのない薄っぺらい木の板でワイメアベイの波に乗る映像は衝撃的だった。

The Presentの監督は、木製サーフボードを作るきっかけにもなったSproutの監督「トーマス キャンベル」の作品ということもあり、私も出た瞬間にDVDを購入した記憶がある。

当時のサーフィン雑誌もアライアの特集を組み、日本でも一部のサーファーを中心にサーフィンの原点に回帰しようというムーブメントが起こった。

アライアは、木製サーフボードとは違い厚みも薄く一見作りやすそうだったので自作してみることにした。

The Presentの封切り直後の2009年の頃だったと思う。

我が家は山林を所有していることもあり、ラッキーなことに父が購入した自動カンナや丸鋸等の木工機械が揃っていた。

また、更にラッキーなことに祖父が自宅裏山に植え、父が伐採し地元の製材所に持ち込んで加工された厚み18mm程度の桐の板材が土蔵に保管してあった。

これを使わない手はないということで、あらゆるホームページ検索しアライアの作り方を学んでいった。

ハイエースのカスタム以降、木工沼に入りかけてたとはいえアライアの制作は困難を極めた。

まず手元にある桐の板の厚みが18mmしかない。幅も100〜200mmとバラバラ、しかもところどころに節がある。

これらの材料からアライアの幅400〜500mmを取るためには、節を交わし長手方向にカットした板を縦方向に接ぐ必要があったが、丸鋸を使った直接カットがまず思い通りにできない。

自作した丸鋸直線カットジグを使っても断面が直角でなかったり、まっすぐにカットできてもしてしばらく放置していたら板が歪んできたりと板接ぎ前の加工が精度がなかなかでないのだ。

思わずホームセンターで売っている桐の集成材にも飛びつきたくなったが、これらの桐は中国からはるばるやってきたもの。

しかも製材過程で人工乾燥され化学薬品により漂白処理がされた後、非耐水性のボンドで接着されている。

このようなエコフレンドリーとは言えない桐を使っても何もおもしくない。

だからこそ、裏山の桐を形にしてやろうと思ったわけだ。

試行錯誤の末、何とか手元にある桐の材料から4本のアライアが出来上がった。

2009年、自宅裏山の桐の木で制作した4本のアライア
自宅裏山の桐の木で制作した4本のアライア (2009年)

しかしながら、基の厚みが18mm、ボトム面にコンケーブなんていれたりすると更に板は薄くなり、実際に海に持っていきトライしてみると、テイクオフした瞬間から板が沈みこみ、雑誌で見たようなライディングが不可能なことを悟った。

当時はそれなりに体重も絞れてて自信があったのに、サーフィンのスキルがまだまだ浅かったのだと思う。

ただ、ボードの上に立てはしなかったものの、腹ばいで驚くほど早いスピードで波に乗ることができたのは驚きだった。

また制作過程において、木の繊維には方向があり、板の上下、内側外側でカンナを入れる方向が決まっていることを学んだ。

あれから10年。アライアは無理と諦め、木製サーフボードづくりを進めてきた。

また当時、厚みのある桐の板を求め、石川県内の製材所、森林組合に相談し、やっと見つけた河北郡津幡町倉見地区の桐の丸太を製材し、自宅裏山で桟積みし、アク抜き、自然乾燥した木も一部腐りかけて来た。

裏山から自宅の土蔵横に移した製材済みの桐

ようやく体重も減ったし、サーフィンのスキルも多分上達しているはずである。

そこで、10前に購入し製材した桐で、改良したアライアも制作することにした。

毎年この時期の日本海側は湖のように静まり返るが、良い波が立ち次第、再びアライアにチャレンジしてみようと思っている。

最近作成したアライア 6’6″(左)、10年前に作成したアライア 5’7″(右)

ハイエースカスタムと裏山の杉

最近「バンライフ」ってのが流行りらしい。バンライフで検索すると、YoutubeやInstagramで沢山の情報や楽しいそうな写真が出てくる。

車を移動手段だけでなく、ベッドや生活用品を乗せることで“移動できる生活拠点”とし、時間や場所にとらわれずに旅しながら暮らすライフスタイルのことを言うそうだ。

しかし、今流行りのこの「バンライフ」も、サーファーにとっては昔っからごくごく当たり前のように存在し、そういう自分も2007年に購入にしたハイエースを機に、バンライフを楽しんで来た一人だ。

いや、振り返れば、ハイエースを購入する前からもバンかミニバンタイプの車としか縁がない。

免許取得直後によく運転してた家のデリカスターワゴンでは、酔っ払ってバンパーに乗ってきた親友を急加速からの急ブレーキで海に振り落としたり(誰も信じてくれないと思うがこれ本当)、社会人デビュー時の車だった三菱のシャリオグランディスでは、大した装備もないまま全国あちこちの波乗りポイントに出向いた。

そんなわけで、最近のこのバンライフブームを見ると、「そんなの昔からヤッてるぜいとか、最近のYoutuberも大したことねーな」とか、ついつい上から目線になってしまいがちだ。

ハイエース購入を決めたのは、当時サーフライダーファウンデーションジャパンの代表だった守山さんを訪ねて京都の八丁浜に行った時だと思う。

夜明け前から駐車し、朝一の波を狙うサーファー達の車の中で、ダークグリーンのハイエースが何故かやたら格好良く見えた。

それからほどなくして、2007年のゴールデンウイークについに我が家にダークグリーンのハイエースがやってきた。

ハイエースが納車され歓喜する子供達

大学で建築を選考し、環境に配慮したモノづくりに関心があったので、自宅近くで育った木で内装をやってみようとすぐに決めた。

そしたラッキーなことに、裏山で伐採され、製材された杉の木の板が自宅にあったたため、この裏山の杉で、荷台スペースにべットの制作をすることを決めた。

それでノウハウを求め、向かった本屋で一冊の本に出会った。

トランポ ハイエースをDIYで快適空間に」だ。

この頃は、ハイエースを8ナンバー登録して節税するものがいたり、どう考えても駐車の邪魔にしかならず見た目もとても恥ずかしいガンダムのようなハイエースを乗り回す者がいたり、今よりもカスタムがしやすい時代だった。

ただ、その頃はDIYの経験もほとんどなく、丸鋸すらビビってろくに使いこなせない有様だったが、どーにかして裏山の杉の木でべットを作った。

自宅裏山で伐採された杉の板で作ったべット

苦労して出来上がった杉の木で出来たべットは、まさに天然の芳香剤の如くとても良い香りがし、運転するたびにハッピーな気分にさせてくれた。

この時に作ったべットの一部は、現在の2代目ハイエースにも受け継がれ、未だに現役で活躍中である。

2019年に購入した2代目ハイエース。木工の腕にも磨きがかかった。

そして、このハイエースカスタムをきっかけに、果てしない木工の道を歩いていくことになったのである。

SproutとTom Wegenerさんの
桐製サーフボード

サーフィンを始めて数年が経ち、ようやくロングボードも乗りこなせるようになった頃、「Sprout」というサーフムービーのDVDを父の友人からもらった。

多分2006〜2007年頃のことだったと思う。

人並みにロングボードに乗れるようになりながらも、飽き始めてた頃だったが、14インチのブラウンから流れてくる「Tom Wegener」さんの桐で出来た木製サーフボードに釘付けになった。

というのも、Surf 60s’ sytleの「Dale Velzy & Hap Jacobs」のバルサ製のサーフボードを知ってから以降、日本にはバルサなんてないから木製サーフボードなら軽い桐がいいのだろうなんて丁度思っていたところだった。

また、偶然その頃、自宅の裏山に祖父が生えてたのを父が伐採して製材してあった桐の板があり、この板で木製サーフボードを作ってみたいなと丁度考えていたところでもあった。

急に裏山の桐で作る木製サーフボードのイメージが頭の中で急激に現実味を帯びながらも、一方で何をどうしたらサーフボードになるんだろうという疑問が交錯し、悶々とした日々を過ごしたことを覚えている。

Tomさんは、Sprout以前に「Siesta and Olas」という名作であるサーフムービーで知っていたが、この頃は、まさに雲の上のようなスーパースターでしかなく、まさか後々本人と会えるようになるとは考えもしなかった。

「Sprout」も「Siesta & Olas」は共に名作で、間違いなく僕の人生に大きな影響を与えたサーフムービーの5本にノーミネートされる。

Youtubeに「Sprout」がアップされているので、知らない人は是非見ていただきたい。

皆さんはどう思われるかわからないが、少なくとも自分は一本のサーフムービーで大きく人生が変わってしまった。

これは紛れもない事実なのである。

Surf 60’s Style
木製サーフボードとの出会い

大学の卒業旅行でアメリカを縦断したことがある。

当時スノーボーディングに熱中していた中学校の野球部の同級生と貨物用のバンをロサンゼルスで借り、ラスベガス、ソルトレイクシティー、ミズーラ(モンタナ州)、シアトルを2週間ぐらいかけてまわった。

スノーボードに行き、山から降りるとレンタカーが駐車違反でレッカーされて消えていたり、同じ日にスピード違反切符を来られるなど、就職を間近に控えた学生にとってはちょっとした冒険だった。

サーフィンは、この旅でハマったスノーボーディングの延長で、冬以外の季節を過ごすための遊びのつもりだった。

社会人になってもらった初ボーナスを握りしめ、意気揚々と地元のサーフショップに行くもどうしても欲しかったロングボードを売ってもらえず、仕方なく行った先のムラサキスポーツで、よくわからないまま店員一押しのロングボード「マメ増田シェイプモデル」を購入することになった。

それからしばらくして、マメ増田シェイプのロングボードにようやく乗れるようになった頃、Surf 60s’ sytleというサーフィン雑誌に載っていた「Dale Velzy & Hap Jacobs」のバルサ製のサーフボードを知った。

この雑誌は、当時一緒に波乗りに良く行った近所の後輩「三島秀成君」に貸し出した後、数年間行方不明となり、ある日同じ地区の廃品回収(雑誌や古新聞を回収するイベント)でレモンノートというエロ本にサンドイッチされた状態で、運命的な再会を果たすこととなる。

木製サーフボードとの出会いはこんな具合にドラマチックだったのである。

初ボーナスが全て消えたマメ増田シェイプロングボード。正直日本海の波には合ってなかったと思う。
初ボーナスが全て消えたマメ増田シェイプロングボード。
正直日本海の波には合ってなかったと思う。
Surf' 60s style(1998年12月出版)
これを超えるサーフィン雑誌はなかなかない。
Surf’ 60s style(1998年12月出版)
これを超えるサーフィン雑誌はなかなかない。
Dale Velzy & Hab Jacobs
Donald Takayama "DT"バルサモデル
Dale Velzy & Hab Jacobs
Donald Takayama “DT”バルサモデル