
日本で初開催となる木製サーフボード自作教室に向けて、房総半島サーフトリップでNobbyさんと役割分担を決めていた。
既に自らのオリジナル工法を木製サーフボードを作っていたNobbyさんが材料を調達し、日本のサーフィンのメッカの一つである千葉県内で開催場所を探す。
千葉であればNobbyさんの工房から近いし、東京や湘南エリアからも近い。
多くの参加者が見込めるであろうという理由で、千葉県で教室を開催することにした。
そして、自分の役割はといういうと、何らの手段を使って参加者を集めることだった。
Paulさんからは教室開催の条件として、最低6人集めなさいと言われていた。
当時、サーフライダーファウンデーションジャパン(SFJ)の海岸調査チームのメンバーとしてボランティア活動をしていたこともあり、当時のSFJの代表理事だった守山倫明さんに企画書を提出し、協力を依頼したところ快諾してもらった。
そこで、SFJ事務局を設置していただき、SFJのホームページや波伝説や波あるなどの波予想アプリの利用者に向けて、教室開催を案内する告知文を掲載していただくこととにした。
そういや当時の波伝説なんかは、Docomoのimodeなんてか動いていたっけ。
SNSもまだ主流ではなく、伝統的なホームページとE-mailが主なコミュニケーションツールだった時代だ。
最初はすぐに人が集まるだろうと余裕をかまし、適当に告知文を準備していたが、2週間たっても2人ぐらいしか参加申し込みがなかった。
だんだん不安になる一方で、Nobbyさんは会場を押さえ、材料の山武杉を既に調達していた。
それでお尻に火がついて、告知文を本気で見直し掲載したのが下の内容である。
この時ばかりは、思わず本屋に駆け込み「「買いたい!」のスイッチを押す方法」という本を買ったもんね。
それでこの本に書いてあることを割りと忠実に実行したところ、毎日のように問い合わせが入るようになり、2週間もしないうちに定員が埋まり、最後は参加希望者が来ても断らざるような事態となった。
この時、文章力の重要さを身を以て勉強することになったわけだが、後々、研究者として様々な研究プロポーザルを書く際の自信にもなり、今でも役に立っているような気がする。
そういえばメーカー勤務の時代から、営業行為があまり好きでなかったが、この経験を境にどこでもイッパシの営業マンとしてやっていける自信がついた。
そんなこんなで、2010年の6月頃にはPaul Jensenを日本に招き、千葉県の山武市で木製サーフボード自作教室の開催が決定した。
教室の準備や段取りは、Nobbyさんに大部分をお願いし、山武市の空き倉庫にレンタル品の発電機を2台持ち込み、教室を開催することとなった。
その当時に執筆した開催報告がこちらにあるので、興味のある人はぜひ読んで欲しい。
こちらの文章はSFJホームページに掲載するために作成した、ある意味ヒジョーにポジティブな開催報告であったが、実際の教室開催はなかなか大変で、発電機が止まったり、Paulさんの忠告を無視して夜な夜な作業していたら、こっぴどく説教されたり、自分が作った木製サーフボードの出来が散々だったりと、毎日数えきれないくらいのパブニングとドラマの連続だった。
それでも教室ば無事終了し、参加者が満場一致で喜んでくれたことは、後々の大きな自信になり、商売の本質を理解する良い経験になった。
またいつか、この教室の参加者と語り合いたいもんだ。